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フォート・ドラム (エル・フレイル島) : ウィキペディア日本語版 | フォート・ドラム (エル・フレイル島)
フォート・ドラム(Fort Drum)は、フィリピン・マニラ湾の湾口部にアメリカ陸軍が設置した要塞である。その形状からコンクリート戦艦(The Concrete Battleship)と通称されたほか、島自体はエル・フレイル島(El Fraile Island)と呼ばれる。1909年、当時アメリカ合衆国の植民地だったフィリピンにおいて、マニラ湾の湾口南側の防衛を強化するべくの一部として設置された。コレヒドール島の真南に位置する。太平洋戦争の最中には日本軍によって占領されたが、後に奪還された。終戦後に放棄され、以後は廃墟となっている。 施設名は陸軍准将から取られた。ドラム准将は米墨戦争や南北戦争に従軍した将校で、ちょうど要塞の建設が行われた1909年に死去した。現在、フォート・ドラムを含む旧湾沿岸防衛施設はカヴィテ市当局の管理下に置かれている〔U.S. Army (1916). "United States Military Reservations, National Cemeteries, and Military Parks" , pg. 344. Government Printing Office, Washington.〕。 == エル・フレイル島 == 元々、エル・フレイル島はマニラ湾口に位置する岩がちの小島であった。エル・フレイル(El Fraile)の島名はスペイン語で修道士を意味するが、その由来は不明とされる。植民地時代にはスペイン軍の砲兵陣地が設置されており、米西戦争中の1898年4月にはアメリカ海軍の防護巡洋艦ローリーとエル・フレイル島の間で砲戦が行われた。 米西戦争が終結すると、ウィリアム・タフトが議長を務めるはアメリカが新たに獲得した領土の主要港を要塞化するべきと主張した。これに従い、エル・フレイル島を始めとする湾口の4つの小島は要塞島としてに組み込まれることとなったのである。
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